仲間はずれで悩む人へのメッセージ

30 5月

前回のブログで学生時代の私は、「慢性的な仲真はずれにあっていた」ということを書きましたので、同じ立場の人がどうすれば少しでも穏やかにいられるか自分の経験を書きたいと思います。

私はかつて、勉強もスポーツもダメで教師からも「全くとりえのない人間。」と言われていました。また、中学生の頃からアルバイトをしなかればならない事情等もあり小学校高学年頃からいじめられていました。中学3年になったその日もクラスメイトにいじめられ、教師に叱られ家に帰ってきました。

そんな私のたったひとつの楽しみは、深夜のボクシング中継を白黒テレビげ観ることだけでした。(当時は週1回ぐらいの割合で深夜ボクシング中継がありました。)誰かに救いを求めていた私は、憧れのM選手の所属するジムに、すぐには入会するあてもないのに電話をしました。その電話はジムの合宿所にかかり、電話を受けてくれたのは憧れのM選手でした。電話ではありましたが無敗の東洋チャンピオンで世界ランキング1位のM選手と話ができたことが私の気持ちに変化をもたらせました。「いつでもジムにおいで。」と言ってくれたM選手の言葉が心の支えとなり、いじめや仲間はずれ、教師からの説教が以前ほど気にならなくなりました。

この時の経験から、家と学校(職場)以外に自分の居場所というか、自分が頑張れる場所や自分を理解してくれる人の存在がいかに大切であるかということを知りました。運動でも芸術でも「やりたいけれど始められない」ことを実際始めてみるときっと違う世界がみえると思います。(すぐに始められない人は「始める日」をきめるだけでもいいと思います。)自分がやりたいことをやり、生き生きすることにより周りの人を変える効果もあると考えます。

ちなみにその電話から1年後、M選手はアメリカでみごと世界チャンピオンになりました。また、中学を卒業した私はM選手の所属するジムには入会しませんでしたがヨネクラジム(私にとって初めて得た自分の居場所でした。)で3年半を過ごし、生涯付き合える先輩や友人に恵まれました。

元世界チャンピオンから教わったこと

29 5月

一昨日、ゆうやの応援で後楽園に行った時、試合会場に隣接するファミレスの中から私に手招きをする人がいました。よくみると元世界チャンピオンのA氏でした。A氏とは今から約33年前ヨネクラジムで知り合い、今でもお世話になっています。

昭和56年3月に具志堅用高がタイトルを奪われ、その翌月私は高校入学と同時にヨネクラジムに入門しました。A氏はその約3か月後ジムにトレーナーとして招かれ、同じ沿線に住んでいたこともあり、ジムの帰り道にいろいろなことを教わりました。また、その時A氏はテレビのボクシング中継の解説をしていたこともあり、試合後の選手のウラ話や世界チャンピオン時代のエピソードなど、高校生になったばかりの私にはとても新鮮で貴重な話をしてくださいました。

その中で今でも心に残っていることは「どんな苦しい練習をしても肉体的な苦しさは忘れるが、精神的な苦しさは忘れない。」ということでした。当時高校生の私にはピンときませんでしたが、年齢を重ねていくにしたがってその意味がわかってくるようになりました。

自分のことで言えば小学5年から中学3年まで慢性的な仲間はずれにあっていた私は、こずかれたり叩かれたりしたことは忘れても、人から疑われたり、教師からキツいことを言われたことはやはり覚えていますので、A氏の言われた通りだと痛感しています。

「暴力」よりも「言葉の暴力」の方が辛いという教訓は今後の教育相談等に生かしていきたいと思っています。

ちなみに現在のA氏はボクシングジムを経営され、スタッフや会員さん達にも恵まれた中で後進の指導にあたられています。

残念・・・。

28 5月

昨日は、私が応援しているボクサーゆうやが6回戦進出を賭けた試合でしたが、結果は3ラウンドKO負けでした。

序盤から相手の左を警戒しすぎ、それを相手に読まれ、強烈なパンチをボディ、顔面に打ち込まれました。そして2ラウンドにダウンをとられ、3ラウンドもはじめのダウンでカウント9まで数えられ、その直後、2回目のダウン(4回戦は同じラウンドで2回ダウンするとそれでKO負けになります。いわゆる「ツーノックダウン制(システム)」と言われています。)で試合は終了しました。

試合からしばらくして、彼はいつも通り客席にいる私達のところに挨拶に来てくれました。思ったより顔もきれいで、早くもリベンジを誓ってくれたので安心しました。ゆうやの今後に期待し、これからも変わらぬ応援をしていくつもりです。

ゆうや!勝って次は6回戦だ!!

27 5月

今日はいよいよゆうやが6回戦進出(ひとつの基準として4回戦で4勝すると6回戦に進出できます。6回戦で2勝すると8回戦に進出できます。)を賭けた試合です。午後3時から練馬駅前で保険会社の人と打ち合わせをしたあと後楽園ホールに向かいます。そして少し早く入場して、この日のために準備した応援幕を掲げるつもりです。

振り返ればゆうやとはN女史の紹介で約3年前に知り合いました。そのときゆうやは2戦2敗2KO負け(たしか2試合とも1ラウンドKO負けだったはずです。)のボクサーでした。そんなゆうやが昔の自分とダブってしまい、ジムの2階に合宿して頑張る彼をどうにかボクサーとして成功させたいという思いから応援させてもらいました。

その後ゆうやは重いパンチと得意のボデイブローを武器に3勝をあげてくれました。エリート選手の華麗なボクシングは魅力的ですが、勝ち負けを繰り返しながら這い上がろうとするボクサー達もすばらしいと思います。試合後はゆうやと美味しいコーラを飲みたいものです。

世の中せまいと感じたこと

26 5月

自宅でボクシング観戦時に試合会場の入り口で配られるパンフレットを整理していました。そのようなパンフレットには出場ジムの後援会社や関係会社の広告が掲載されています。あるパンフレットの中に、知り合いのやり手女性税理士Nさんが経営する事務所の広告を発見しました。びっくりしてN税理士に電話をすると、その興行を主催したジムの顧問をしているとのことでした。

私もそのジムのホープの試合は何度も観ていますし、会長とは会えば挨拶をし言葉も交わします。まさか、そのジムの顧問税理士が飲み会や先日の勉強会の帰りに一緒に帰ってきたN税理士だったとは。世の中せまいとあらためて痛感した出来事でしたが、そのジムの次の興行はN税理士と一緒に声援をおくりたいと思います。

プロフィール

吉嶋丈人 吉嶋税務会計事務所
所長プロフィール

元ヨネクラボクシングジム4回戦ボーイ。20歳で専門学校卒業、22歳の時、横浜でラーメン店をオープンさせる。その時出会った税理士にあこがれ、24歳になる直前に店を他人に譲り、簿記の勉強を始める。その後20余年の勉強と15年以上の実務を経験。20代の頃は(当時最強といわれた)ヒクソン・グレイシーに挑戦した日本人選手のスパーリングパートナーを務めた経験あり。 現在は本業の合間にボクシングトレーナーの修行中。

最近の記事

月別アーカイブ

このページの先頭へ