副校長との出会い
11
5月
前回書かせていただいた副校長(以下も『副校長』とします。)とは、24歳の時に友達に連れて行ってもらった東洋大学の文化祭で知り合いました。私はその時はラーメン屋の経営から退き、簿記の勉強をしようとは思っていたものの実行には移せずモヤモヤしていました。同学年の副校長は、大学卒業後就職した病院を辞め、教師を目指して浪人していました。(つまり『夢みるプータロー』がふたり出会った訳です。)
その後、励まし合える友達として付き合いが始まりました。私が副校長と知り合った直後に始めた簿記の勉強で、20歳代で取得したものは日商簿記の2級と1級だけ(税理士試験の合格科目はありませんでした。)でしたが、副校長は(20歳代で)教職に就くことができ、結婚もして一戸建ての家も手に入れ理想の人生を歩んでいきました。
お互いを知ったのは先にも書いた通り24歳のときでしたが、実は副校長とはお互い後で驚いた『ニアミス』がありました。それは、私がファミレスを早々に辞め、初めてラーメン修行をしたのが宮城県柴田郡の店舗で、当時その近くにある大学の3年生だった副校長はよくその店に食べに来ていたそうです。(もしかして私が接客をしたり、私が作ったラーメンを食べていたかも知れません。)その修行先ラーメン店に夕方からアルバイトに来ていた(副校長と同じ大学で同じ年の)I君の事も副校長はよく知っていました。ちなみに、そのお店の店長からI君は何をやっても褒められていましたが、私は叱られてばかりでした。
先日副校長と会った時も前半はパワハラ、セクハラ問題の顛末の話をしましたが、後半は宮城県柴田郡時代の懐かしい話や、お互いの今後の目標などの前向きな話をすることができ、とても楽しい時間を過ごすことができました。帰り際、副校長は俳優の野村宏伸と高校の同級生だそうで「奴はドラマの中の教師だけど俺は本当の教師だぜ。」と言って帰って行きました。私は副校長ほどバランスのとれたいい先生はいないのではないかと思っています。
2018年05月11日
友人のパワハラ、セクハラ騒動
10
5月
私には30年来の付き合いのある教師の友人がいます。彼は現在下町の公立中学校で副校長(都内では今は『教頭』とは言わないみたいですね。)をしています。そんな彼から2〜3ヶ月前に「20歳代の女性教師からパワハラ、セクハラを告発されて困っている。」との連絡がありました。(以前会った時に、私が「いつか教育問題についての論客みたいなこともしてみたい。」と言った事を覚えていて頼ってもらえたのだと思います。)
その時は確定申告期間中ということもあり、会う時間をつくることができず、電話でアドバイスをさせていただきました。その後、「不問扱いになった。」との連絡があったものの、個人的興味もあり、詳しい顛末も知りたかったためGWの後半に、ヨネクラジムの先輩が経営する居酒屋で飲みながら話を聞くことにしました。
彼は、暴力を振るった訳でも声を荒げた訳でもなく、本人の為にしたアドバイスを相手は『厳しい指導』ととらえ、その時に今までの会話ややり取りの中で不愉快に思ったことを全て校長に告発したという事のようでした。相手が不愉快に思った内容を彼から聞くと、「今の時代はしない方が無難かな。」と思える言動は確かに2、3ありました。しかし、彼は今でもアスリートで、決してそのようなトラブルの対象とは程遠い人物である(と、私は思っています。)ため、少しかわいそうになりました。(次回書かせていただきますが、彼は大学を出た後、一度就職し、どうしても教職に就きたいとの一心から何年も留年して教職に就いた、まさに『苦労人』なのです。)
先日のTOKIO・山口メンバーやみなかみ市長、レスリング協会の騒動など、連日ワイドショーを騒がせていますが、今の時代、パワハラ、セクハラには相当気をつけていかなければならないと改めて自覚しました。
2018年05月10日
GW中に行なった運動
08
5月
約10日間のGW中、A会長が経営するジムに2回行って汗を流し、代表の経営する空手道場には3回行って軽めの筋力トレーニングを行ないました。
今月は、3月決算法人の申告月ですので10日以降は仕事が忙しくなりそうですが、隙間の時間をみつけて身体を動かすようにしたいと思います。
あと、先日ジョギングシューズも買ったので、ランニングもするようにしなければいけませんね。
2018年05月08日
仰天しました
07
5月
一昨日、5月5日の事です。「チケットが余っているから一緒に(ボクシング)観戦に行かない?」と大手ボクシングジムで役員をつとめるSさんから誘いを受け、夕方後楽園ホールに向かいました。
その日は東京ドームで安室奈美恵のコンサートがあり、後楽園ホールでは亀田三兄弟、長男の引退スパーリング、三男の世界前哨戦、(亀田三兄弟の)いとこの4回戦ボーイの試合が組まれており、東京ドームは当然の事、隣接する後楽園ホール周辺も多くの人で溢れていました。
私のチケットを持っているSさんは先に入場していたため、顔見知りの(後楽園ホール)職員に頼んで会場内のSさんからチケットを預かってきてもらいました。何気なく普段通りチケットを受け取りましたがそのチケットの金額を見て仰天しました。なんとそこには10万円!と印字されていました。(先日の村田選手の初防衛戦、横浜アリーナのチケットでさえ5万円でした。)
「後日、用意してくれた方(大手ジム会長)に何かお礼をしなければならないなあ。」などと考え、リングアナウンサーの後ろの席に座っていると顔なじみの常連の方々が「今日はこの席いくら?3万?5万?」と聞いてきたので黙ってチケットを見せると、皆目を見開いて驚いていました。いつもリングサイドに陣取っている数名の先輩方は「ちょっと、このチケット撮らせてくれない?」と言ってスマホやデジカメに納めて行かれました。そんな訳でボクシング関係者のブログやホームページに10万円のチケットの写真が出ていたらおそらく私のチケットだと思われます。それにしても、10万円の印字のあるチケットは初めて見ました。
チケットの金額には圧倒されてしまいましたが、プロレスまがいの演出と試合内容もまずまずで楽しい興行でした。亀田三兄弟はボクシング以外でも活躍していることもあり芸能人、有名人も多く、リングサイドなどは常連、芸能人、常連、芸能人・・・という感じでした。余談ですが、後ろの方から独特の話し方が聞こえると思って振り返ると、タレントのYOUさんがいらっしゃいました。生島ヒロシさんからは「ドクターの方でしたよね?」と話しかけられました。
2018年05月07日
司会修行
05
5月
前回は、空手団体の『代表』の事を書かせていただいたので、今回は(大会で)司会をやらせていただくようになった経緯について書いてみたいと思います。
私は、住み込み先の寮のテレビで代表の闘う姿を観てから約5年後、平成5年1月に代表が立ち上げたばかりの道場に入会しました。そこで役者の『ツツチーさん』と出会いました。ツツチーさんは役者のほか、伝統派空手の師範、司会業ほか多くの顔をお持ちで、『2時間ドラマの帝王』と呼ばれる大物俳優と一緒に劇団を立ち上げたりとてもアクテイブな方でした。偶然、彼と私との共通の友人がいたことから親しくしていただきました。
道場の方もどんどん発展し、私が入会前から行っていた春の『東都大会』に加え、平成8年秋には『全日本大会』が開催されるようになり、それから間もなく毎年12月には少年、少女の『全日本ジュニア大会』が開催されるようになりました。それら年に3回行われる大会の時に、司会者のツツチーさんの横で記録を取りながら約10年間にわたって司会修行をさせていただきました。そしてまず、12月の『全日本ジュニア大会』の司会を任せていただけるようになり、私が慣れてきたこととツツチーさんの仕事も忙しくなってきたことから、間もなく全ての大会でマイクを握らせていただくことになりました。
ツツチーさんの優しい指導と皆様のご協力のお蔭でトラブルも無く司会業を続けて行けていることに感謝しています。ちなみに約20年続いた毎年12月の『全日本ジュニア大会』の単独での開催が昨年で終了し、秋の『全日本大会』と同時開催されることになりました。『全日本ジュニア大会』は初めて任させた大会であり、選手入場の音楽も代表からの指示を受け、見つけるのに苦労したりと3大会の中でも一番思い入れがある大会でした。
今後は、(ツツチーさんが私にしてくれたように)もう少し若い世代で司会をできそうな人材を見つけ、育てていくようにしたいと思います。
2018年05月05日