今夜の『ナカイの窓』は必見です

14 3月

本当は、1分でも仕事をしなければならない時期ではあるのですが、少々告知をさせていただきます。

今夜の『ナカイの窓』(ダイエットに成功した人の特集)に、私がデビュー前から応援しているボクサー・内藤未来選手が出演予定です。未来選手については以前も書かせていただいた通り、アリスの『チャンピオン』という曲のモデルになった伝説のボクサー・カシアス内藤さんの次男です。未来選手は昨年の東日本新人王戦の決勝で敗れ、今は再起を目指してトレーニングに励んでいるところです。番組を観て「一緒に応援したい。」という人がひとりでも増えてくれれば光栄です。

時計が贈られてきました

08 3月

連日、事務所内での(確定申告の)処理が続いていた数日前、事務所に時計が贈られてきました。その送り主はジムの後援会長で、先日ウチに遊びに来た時に「もうすぐ定年になり、その記念品として(会社から)贈られる時計をあげるからこの事務所に飾ってよ。」と言ってくださいました。

その時計は、後援会長が大手広告代理店で長年頑張ってこられたからこそ受け取れる(価値のある)時計であるため、当然はじめは「私がいただくなんてとんでもない。」と固辞しました。しかし後援会長は「副会長(私)には世話になっているし、これからも一緒に後援会を盛り上げていきたいから。」という暖かい言葉をかけてくださったので、ありがたくいただき大切に飾らせてもらうことにしました。

実はその後援会長は現在入院しておられます。一昨日、無事手術も成功し間もなく退院されるそうですので、確定申告が終わったらすぐにお礼に駆けつけたいと思っています。

余談ですが、私が会計事務所に勤めていた修業時代(もう20年位前になります)後援会長の奥様からかけていただいた励ましのお言葉が、今の仕事の励みにもなっています。そんな訳で、残り1週間の確定申告、頑張ります。

山中選手の敗戦に思う事

02 3月

昨日、山中選手が宿敵ネリに2ラウンドKOで敗れました。ネリの体重オーバーによる王座剥奪等のドタバタで心理的影響もあるかとは思いますが、山中選手は激戦のダメージの蓄積のせいか、かなり打たれもろくなっているように感じました。

ボクシングは危険なスポーツです。特に世界レベルのパンチ力ともなりますと一発で致命的なダメージを負う場合も少なくありません。今日のスポーツ新聞各紙が一面で書かれていたように、グローブを置き第二の人生を歩むのが正解のような気がします。(山中選手の経験や謙虚な人柄が、第二の人生でも大きな花を咲かせられると思うので。)

余談ですが、ちょうど1年前に今回と同じ国技館で行われた山中選手の12度目の防衛戦の時は関係者から『マス席』(3万円)をいただき、確定申告期間中にもかかわらず観戦に行きました。ちなみに今回は「あまりいい席ではない。」と言われましたのでテレビで観る事にしました。それだけ『山中選手の返り咲きを生で観たい』というファンが多かったという事ですね。

そろそろ来ました

27 2月

今回の題名『そろそろ来ました』は確定申告のピークの事ではありません。(確定申告のピークはとっくに来ております。)毎年2月後半から4月後半まで苦しめられている『花粉症の症状』です。

私は、病院に行くほどではありませんが、これから約2ヶ月間はマスク、目薬、鼻のスプレーは手放せなくなります。冬から春にかけてのこの時期は、新しい事を始めるには最高の、大好きな時期なのですが『花粉症』だけが(この時期の)悩みの種です。

余談ですが、仲間が経営する空手道場で週に1~2回(1回30分程度ですが。)自主トレをしています。確定申告が終わったら、自主トレ以外に空手の稽古も継続してやっていきたいと思います。

会計監査役に就任しました

24 2月

一昨日は、家族ぐるみでお付き合いをさせていただいているむらまつ都議の大泉地区後援会の発足式に、両親と一緒に出席させていただきました。そこで役員人事も発表され、私は『会計監査』をやらせていただくことになりました。

むらまつ都議とは知り合って3〜4年ほどですが、(むらまつ都議の)ご両親からは、独立するはるか以前から大変お世話になっておりおります。また、都議ご本人は昨年、私の両親が住む実家から歩いて5分ほどの所に引っ越され、ますます身近な存在に感じられるようになったことから、今後も微力ながらお手伝いをさせていただきたいと思っています。

余談ですが、昨晩杉並区内の顧問先様を訪問させていただきました。その方の(たしか)甥っ子さんがワタナベジムのボクサーだとか。今年活躍して、来年の『新人育成会』(歌手の山川豊さんが会長を務め、私も会員です。)の表彰式で表彰される選手になってほしいと思います。

プロフィール

吉嶋丈人 吉嶋税務会計事務所
所長プロフィール

元ヨネクラボクシングジム4回戦ボーイ。20歳で専門学校卒業、22歳の時、横浜でラーメン店をオープンさせる。その時出会った税理士にあこがれ、24歳になる直前に店を他人に譲り、簿記の勉強を始める。その後20余年の勉強と15年以上の実務を経験。20代の頃は(当時最強といわれた)ヒクソン・グレイシーに挑戦した日本人選手のスパーリングパートナーを務めた経験あり。 現在は本業の合間にボクシングトレーナーの修行中。

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