富士山が間近にみえました
20
2月
ここ一週間ほど、確定申告の資料のお預かりに顧問先様まわりに奔走しております。
昨日は、二子玉川、自由が丘のあと三島の顧問先様のお宅にお邪魔してきました。夜は事務所に来客予定があったため、三島での滞在時間はわずか86分でしたが富士山を間近でみることができ、大変美しく雄大な姿に感激しました。
ちなみに、今日一日顧問先様まわりをしますとほぼ9割方の(顧問先様の)資料が揃います。夜は後楽園ホール(確定申告期間中のボクシングの生観戦はおそらく今日だけです。)で茨城の選手達を応援して、明日からは事務所内で処理作業に入ります。
2018年02月20日
思いがけない人からの電話
18
2月
先週、ウチの事務所に思いがけない人から電話がありました。その人は、私がヨネクラジムに入門当時(たしか)大学生でヨネクラジムでトレーナー見習いをしていたIさんでした。Iさんは、A会長がヨネクラジムにトレーナーとして招かれる前、構え方からガードの仕方、左ジャブの打ち方など丁寧に指導してくださいました。長身で男性にしてはややかん高い声(Iさん、すみません。)が特徴だったのをよく覚えています。
Iさんは今、会社経営のほかヨネクラジムの名トレーナーとよばれた松本清司先生(故人)を偲ぶ会の事務局長をしておられ、その名簿(私も会員なのです。)をみてお電話をくださったようです。ちなみに最後にお会いしたのも、お話ししたのも私が高校生の頃以来でした。(私が独立した約4年前に、名簿の書き換え依頼をした時、メールのやりとりはありました。)
電話の要件としましては、ご自身が経営する会社の事についてのことでしたが、とても頑張っておられるようで、ヨネクラジムの仲間として嬉しくなりました。確定申告終了後、今度はこちらから連絡をしてヨネクラジムの先輩(この先輩には昨年の大晦日、試合会場でも大変お世話になりました。)が経営する鮨屋に誘いたいと思っています。
2018年02月18日
A会長の記事
16
2月
毎月15日はボクシング雑誌(2誌)の発売日です。昨日も仕事の合間に地元の書店に寄り購入しました。
そこで「心優しき天才」というA会長(今はボクシングジムの会長をされているのであえて『会長』という肩書をつけさせていただきます。)の記事が載っていました。私もブログで何度も書かせていただいているA会長は偉大な(天才肌の)元世界チャンピオンです。出会いはかなり前で、私は昭和56年4月にヨネクラジムに入門し、それから約3か月後の7月にA会長はヨネクラジムにコーチとして招かれました。当時は民放各局でそれぞれの局が月に1度は深夜ボクシング中継を放映しており、A会長はある局のテレビの解説者もしておられました。また、お互いに家が同じ沿線にあったこともあり、練習後よく一緒に帰り世界チャンピオン時代の話や解説した試合のウラ話など、とても貴重なお話しをしてくださいました。私にとっては出会った15歳の時から今でも心の支えになってくれている大切な方のおひとりです。ちなみに今回の記事でもライターの方が、A会長に本当に良くしてもらったという心温まるエピソードが書かれていました。
先日のボクシング興行でA会長のジムの選手が2人出場し2人とも勝利しました。試合の翌日ウチの事務所にA会長から電話があり、前日の応援のお礼とともに「君がジムに来てくれれば俺も嬉しいよ。」と言ってくださりとても感激しました。確定申告が終わったらA会長のジムに行き、かつて教えていただいた右アッパーをサンドバッグに打ち込みたいと思っています。
2018年02月16日
確定申告前の息抜き
14
2月
昨日は、昨年大晦日に見事WBAとIBFの統一ライトフライ級チャンピオンになった田口良一選手と同じく大晦日にIBF世界ミニマム級タイトルの初防衛を果たした京口紘人チャンピオンを囲んでの親睦会に出席させていただきました。
参加者10名ほどの親しい身内での食事会でしたので、両チャンピオンから話をたくさん聞くことができ、写真もたくさん撮らせていただきました。私にとっては確定申告前のいい息抜きになりました。
余談ですが、このような会で主催者の方が私の事を「元プロボクサー」と紹介すると、どうやら私は『ボクサー=かっこいい』のイメージとは程遠いようで、いつも皆様に驚かれます。「相撲くずれかと思った。」と言われたこともありました。(泣)
2018年02月14日
後援会長と29年前の思い出
12
2月
平昌オリンピックが先日開幕しました。開会式の映像を観ながらふと29年前の出会いを思い出しました。
昭和から平成に年号が変わった頃、ボクシングをやめて4年以上が経っていた私は、横浜でラーメン店を経営していました。そのお店の開店の時も駆けつけてくれた小林智昭さん(ヨネクラジムに入門して一番最初の友達でした。)はジムを移籍して日本バンタム級チャンピオンになり、平成元年2月(29年前のちょうど今頃です。)韓国・大田(テジョン)で世界タイトルに挑戦することになりました。
韓国に行く前、小林さんから「吉嶋君は誰と来るの。」と聞かれ、「僕はひとりで行きます。」と答えたところ、「ひとりは難しいから(応援に来てくれる)仲間を紹介してあげる。」と言って紹介されたのが、コピーライターのTさんでした。試合には敗れてしまい、その試合から約4年後小林さんは不慮の事故で亡くなってしまいましたが、Tさんとはその後も仲良くしていただき、現在は顧問先ジム(ヨネクラジムの先輩が主宰するジムで、小林さんのおかげで付き合いが始まりました。)の後援会長(Tさん)、副会長(私)としてお手伝いさせていただいております。
一昨日、Tさんはジム販促用のリーフレットのサンプルを持ってウチの事務所に来てくださいました。29年前に行った韓国で行われるオリンピックの、開会式の華やかな中にも寒そうな感じがヒシヒシと伝わる映像を観ながら当時の事をつい思い出しました。
余談ですが、小林さんの世界タイトルマッチのポスターと(小林さんのお母様からいただいた)調印式の写真は事務所の私の机の前に飾ってあります。
2018年02月12日