名古屋地区へ

01 6月

先週の金曜日の夜、後楽園ホールでボクシングをセミファイナルの第2ラウンドまで観戦して、20時40分発の新幹線で名古屋に向かいました。

名古屋行きの理由は岐阜県多治見市在住の友達のお父様が亡くなったことによる相続の打ち合わせと、翌日愛知県小牧市で行われる、WBO世界ミニマム級タイトルマッチの観戦です。

22時20分に名古屋に到着した私は、在来線に乗り換え、友達の待つ多治見に向かいました。そして彼の実家に向かい、深夜12時頃から約1時間ほど、彼のお父様の相続について打ち合わせをしました。幸い彼と私の考えがほぼ一致していることから、今後この件に関してはスムーズに進めそうな感じがしました。

翌日は、午後1時の興行開始まで彼の車で、名古屋名物の喫茶店のモーニングセット(名古屋のモーニングセットはボリュームがあると評判なのです。)を食べに行ったり、名古屋出身の世界的メジャーリーガーの実家を教えてもらったりしました。そして昼食にうどんを食べ、小牧の試合会場に入りました。(会場入り後については次回書かせていただきます。)

上板橋へ

28 5月

昔の仲間が上板橋で床屋さんをやっているのを思い出し、昼間営業も兼ねて行ってきました。

お店は、以前と同じ場所にありました。お客様はいないみたいでしたので、「こんにちはー。」と言いながら入って行くと、お母様が出てこられました。その仲間は家業の床屋さんを辞め、普通に働いていて、お店はお母様ひとりで経営されているとのことでした。残念ながら顧客獲得にはなりませんでしたが、上板橋はラーメン屋の修業時代に過ごした街で、初心に帰れる大切な街ということもあり、今でも月に数回は行っています。

ひとついいこともありました。その床屋さんに向かって商店街を歩いていると、「木工家具請け負います。」との看板が。A4のファイルがピッタリ収まる本棚を探していたので相談したところ、親切そうなご主人が希望金額で作ってくださることになりました。来週にでも図面を持って正式に注文してくるつもりです。

 

 

届かない郵便

25 5月

先日、こんなことがありました。

平日の夕方4時、地元(練馬区内)の郵便局の窓口で同じ大きさの郵便物(中身も一緒です。)を、所沢と飯能に出しました。ちなみに所沢あてのみ速達とし、飯能あての郵便は普通郵便としました。そして翌日、普通郵便で出した飯能のお客様からはお昼前に「届きました。」という連絡をいただいたのですが、速達で出した所沢のお客様からは午後2時を過ぎても連絡が来ません。夕方近くになりこちらから電話をしてみると「今も郵便受けを見たけど、届いていない。」との返事でした。(練馬からの)距離も遠く、普通郵便で出したものがとっくに届いているのに、何でわざわざ速達で出した郵便が届かないのか?

私はすぐに、練馬郵便局と届け先の管轄の郵便局に連絡を入れました。一番知りたいのは、配達員が今日そこへ、速達郵便を届けたか?ということです。配達員の返事は「今日はそこへの郵便物は一切なかった。」とのこと。「どこで行方不明になったのか?」同じものを送り直せば済むことですが、なんとも言えない嫌な気分でいると、夕方5時頃になって「今(届け先所轄の郵便局に)届きました。午後7時までにお届けできます。」との電話がありました。

郵便番号や宛名にも間違いはなく、一体どこを迷走していたのかわかりませんが、次回からは速達は使わずに普通郵便以外はゆうパックで出そうと思いました。それにしても、練馬郵便局と届け先の所轄の郵便局の方々は大変親身に対応してくださり、後日速達料金の返金も受けられました。

先輩の店へ

23 5月

昨日は、東武東上線・東武練馬駅近くに居酒屋を開店したヨネクラジムの先輩の店で遅めの夕食をとりました。

駅からも近く、思ったより広いお店で、いい意味で「根っからの商売人」である先輩は、地元の方々にもとても慕われているようでした。料理も美味しく、特に生姜焼きとから揚げ、あんずサワーの味が癖になりそうです。

今後、東上線方面に行った時は立ち寄りたいと思います。

 

約1週間ぶりの更新

21 5月

ここ、1週間ばかり顧問先様の特殊案件(補助金等)中心の仕事をしていました。

いろいろ難しくややこしい案件ではありましたが、進めて行くにつれて今後の税理士業務にも必要なことがいくつも出てきて、はまってしまいました。この仕事は、明日依頼のあった顧問先様に納品して完了です。

今週はボクシング関係の観戦・集まり等はなく、週初めに東北地方に住んでいる父方のおば数名が上京してきました。私は約1時間ほどの再会でしたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。

 

プロフィール

吉嶋丈人 吉嶋税務会計事務所
所長プロフィール

元ヨネクラボクシングジム4回戦ボーイ。20歳で専門学校卒業、22歳の時、横浜でラーメン店をオープンさせる。その時出会った税理士にあこがれ、24歳になる直前に店を他人に譲り、簿記の勉強を始める。その後20余年の勉強と15年以上の実務を経験。20代の頃は(当時最強といわれた)ヒクソン・グレイシーに挑戦した日本人選手のスパーリングパートナーを務めた経験あり。 現在は本業の合間にボクシングトレーナーの修行中。

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